女の友情と恋愛

友達だと思っていた人から告白されて、その後も変わらず友達づきあいをするというのは、相手にとって酷なことなのだろうか。
酷なら酷だといってほしい。自分は鈍感だから、しらずに相手を傷つけているかもしれない。でも、もし、「あなたとこのまま友達としてやっていくのはしんどいから」と言って絶交されてしまったら、と考えるととてもつらい。私も相手のことがすきだからだ。

前のエントリで書いた人からは、その後音沙汰はない。単に忙しいだけなのか、それとももう会うつもりがないのかは、わからない。私から約束を取りつけることはしないので、このまま何もなければフェードアウトするだろう。

実は、もうひとり、相手のきもちを知っていて友達づきあいをしている友人が、いる。
それは同性である。
告白されたのは1年半ほど前になる。好きだとメールで言われて、すなおに嬉しかったのでOKした。しかし、「つきあう」ことになったその後もなんら態度の変わらない私に、相手は業を煮やしたのだろう。自分だけしんどい思いをするのは空しいと言って、関係の解消をもとめてきた。どのように言われたか忘れてしまったけれど、おそらく、友達同士にもどろう、ということだったように思う。それから私たちは、「なにごともなかったかのように」ふつうの友人関係にもどった。と思う。そのように思ってるのが自分だけかもしれないと考えるのがこわいので、むりやり私がそう思い込んでいるだけなのかもしれないが。

「つきあって」と言われたとき(メールだったが)、私にはおどろきと共にうれしさを感じた。だから受諾したのだ。彼女が両刀であることも、あらかじめ知っていた。ふしぎと、嫌悪感はわかなかった。
しかしそれは、私が彼女の気持ちを本当には理解していなかったからなのかもしれない。「つきあう」といっても、同性どうしなのだし、たがいに特別をみとめあう友達どうしになるくらいにしか考えていなかった。そもそもふつうの友達どうしというのは、「特別」をゆるさない。嫉妬や、束縛といった感情をゆるさない。「特別な友達」というのは、それらを認めあい、私が相手の一番であり、相手が自分の一番であることを認めあう関係であると私は解した。それは、私に安心感をあたえた。自分はひとりではない、と思えることは、精神的な支えをもたらした。

私はそれだけで満足してしまったのだが、問題は、彼女はそうではなかった ということだ。彼女は、より具体的で直接的なつながりを求めた。もともと彼女もそれほど女性経験はなく、性的交渉はなしということで互いに了承していたことで私は油断していたのだ。もちろん、交渉をせまられたわけでは勿論ない。彼女が求めたのは、ペアリングを買おうとか、キスをしよう、という、つきあっている者どうしならごく自然の要求だった。ペアリングに関しては、私は拒むことはしなかったが、正直、すこし引いてしまった。また、キスは受け入れることはできなかった。やはり、私がもっている彼女への感情は、友情の域を出ることはなかったのだろう。私の求めたものは、「つながりの強い友情関係」でしかなかったのかもしれない。

ふつうの友達関係では満足できない、けれど、それは恋愛感情ではない。これはなんなのだろう。
私にわかるのは、感情の濃度は白黒や0と1ではっきりと分けられるものではなく、むしろ限りなくグレーのグラデーション部分が大部分を占めるにちがいない、ということだ。