オカルト

元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである、らしい。
私はオカルトの存在は信じている。「隠されたもの」はこの世にたくさんあるはずだ。科学で解明済みのものよりそうでない事柄のほうが多いということは、オカルト系の本でなく自然科学系の本を読んでる時にこそ実感する。そもそも、「万有引力」だって、「発見」されるまではオカルト扱いだったわけだし。
ふつうの人間には知覚できないものは存在していて、でもそれが何か明瞭には分からないので、いろいろな名前がつけられている。神とか霊とか妖怪とか鬼とか気とか超能力とかオーラとかパワーとかフォースとか。全部いっしょくたにすんなっていわれそうだけど。残念ながら私はいわゆる霊感はゼロだし、そういったものを感知したことはない。だから、存在を信じてるとはいえ何の確証もない。そういった世界が見えれば楽しいだろうな、ぐらいのいささかファンタジックな妄想をする程度だ。
私には見えないが、そういうのが見える人がいてもいいとはおもう。あなたと私の見ている世界が同じである確証なんてどこにもなくて、だったら私に見えないものが見える人がいてもいいんじゃないか、と。「共感覚」といって、味覚がなどの感覚が視覚や触覚など他の感覚とリンクしている人がいる。それは妄想でも幻覚でもなくて、ただその人にとって「世界がそのようにみえる」だけだ。


と、ここまでは私の頭の中の話。理性ではそんなふうに理解はしている、だけど実際に「オーラが見える」とか「霊感がある」という人には基本的に懐疑的です…。「友達に霊感のつよい子がいて、その子が言うにはさ」なんて話をきくと、「あららそういう人なのね」なんて、なまあたたかい視線を送ってしまう。さらには、もっと身近な人物、たとえば母親なんかがそういうことを言い出した時にはどうしようと思ってしまう。実際今それ。信じてるものを敢えて否定する必要もないかと、軽く受け流してはいるけど…。気孔教室に通いはじめて「白い糸のようなオーラが指先から出ているのが見えるようになった」とのたまう。オーラというのはそんなにもお手軽に見えるようになるものなのだろうか。集団催眠というやつか?はたまた洗脳か?実害のないうちは放っておいていいものか、それともエスカレートする前に止めたほうがいいのか。それにしても、暗示や思い込みで今まで見えなかったものが見えるようになるなら、それはそれで凄いことだとおもう。


という話を同僚にしたら、「nas8800さんも何か見えてそう」と言われてしまった。「でも私、霊感とかそういうの一切ないよ?」「霊とかじゃなくて、妖精とか見そう」「み…見ないよ」「友達に、小人が見える子がいてさー」「えー‥」 う う〜ん 私もそのうち何か見えるかもしれない。